サンドイッチ淑女とドーナツ紳士

つまんねぇよ!と叫びたい衝動と静寂。

優位性ってなんぞや①

きっかけは美容師とのおしゃべりだった。

 

髪を切りながら美容師さんが「お客様によってなりたいヘアイメージの伝え方が違うんです。」と話してくれた。

 

携帯画像や雑誌の切り抜きなどをみせるだけじゃないのか?と疑問に思いつつ話を聞く。

「言葉で伝える」うん基本やね

「イラストを描いたり」それも分かるな

 

「手紙でつらつらと文書を書いてきたり」…………文章!?恋文かい?

 

その発想はなかった…!

 

「お客様も色んな方がいらっしゃるので、ヘアカットの技術だけではなく講習会でVAKタイプっという、五感の中でも視覚・聴覚・触覚どの感覚を使いコミュニケーションをとるのかを学んだりしましたよ♪」

 

なんだい…それ?

めちゃ気になるやん!って感じで『感覚の優位性』の存在を知ることになる

 

私は今まで人に『謎』『意味が分からない』『不思議』と理解されないこともあり、度々コミュニケーションに不自由さを感じていた

学生の頃はぼちぼちテストの点数は取れてたが社会人になり、あまりにも物忘れが酷いし、仕事が出来なすぎて、何かしらの脳のクセ(発達障害)あるのかな…と病院へ行くことも考えてた

 

しかし、病状として考えると凹んだりするのだ

 

そこで、初めて聞いた一人一人の『感覚の優位性』の話。

これは私のとってまさに晴天の霹靂!

 

これが1年前の話になるが、思いがけず友達との会話で『感覚の優位性』を思い出したので調べると教育分野で注目されている『認知特性』へと広がっていくのだった

…つづく

 

 

 

 

 

人間って動物

家と職場という自身が活動する場。

やらなければならないことがどうしても出てくる。仕事、家事、勉強、コミュニケーション、頭を使うし時間に追われる。人と関わらなければならない。

なぜこんなに物事に一途にならないといけないのか分からなくなる時がある。

人間が生存するために社会を形成していくことは必要なんだろう。社会性を重んじる動物である以上しょうがない。

 

しかし、どうしても逃れたい時がある。

 

そんな現実世界から解放される場の一つが喫茶店やカフェである。

 

ぼーっとする。

人間が得た一番の娯楽だと思う。

敵味方など動物の臭覚が弱まる場。

 

戦いの場である生活圏からはみ出した場。私とは全く関係ない人々が、それぞれ思い思いの活動をしている。

 

攻撃関係になることは稀だから安心できる。私には関係ない人々のそれぞれの日常。きっとこれからも他人である人々。

 

それぞれが思い思いに生きてる。

 

客観的な目線になると自分のムズムズしてた悩みなんてちっぽけになる。

 

集団に悩まされ、集団に個々を感じ癒される。なんとも奇妙な話しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デザインはサバイバルである。

『多面的にみる』
この言葉から連想することは何でしょうか?どうやったら、多面的にみることが出来るの?


昨夜、OCHABI(御茶の水美術学院)でのワークショップを受けてきました♪
友達のつてで藝大には侵入(;ll゚Д゚ )⁉︎したことはありましたが、美術予備校は初めて。peatix(イベント検索購入アプリ)にて、こちらを知り

『デザインをコンセプトで考える』
このワードがひっかかり、参加に至りました。

最近、制限を気にするあまり、縮こまった面白みのないアイディアしか出せずにいました。薄っぺらで表面的にキレイなだけの商品POP広告。
その自身の生み出す『違和感』を埋める作業として、webや書籍でデザイナーが出してる仕事術を学んでみるものの、頭で分かったつもりでいました。

今まで『捉え方』の情報元・方法として視覚と思考に頼っていました。

『多面的にみる』て言葉。

こちらの捉え方でさえ、上記の2点の要素のみで考えていました。
しかし、今回この言葉の真意を知る事になりました。


デザイン=レイアウト、配色、形などビジュアル面(視覚情報)の要素と思う方が多数だと思います。
視覚情報の美化と言うのでしょうか。
人間が持つ感覚機能の中でも、83%以上の圧倒的な情報認識感覚が視覚情報というのもあるのでしょう。

しかし講師から
「デザインとはもっと複合的に感覚を駆使して無意識に感じることである」と伝えていただき、すとんと腑に落ちたのでした。

デザインで重要視される
『多面的にみる』て言葉。
私はこのような『見方』苦手!と言葉の意味に縛られ、みる=視覚情報と認知していました。
しかし、多面的にさわる。多面的に嗅ぐ。多面的に聞く。などの視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚(この他にも平衡感覚や空間把握など)かもしれないのです。

言葉に惑わされず、本来人間がもつ様々な動物的『本能(感覚)』を大事にすること。
そこを出発点にコンセプトを打ち出し、デザインを乗せていくのでは?と1つの案が出せたことが大きな収穫でした。

この場で感じる講師の空気感、声、教室という場所、より多く感覚を駆使した場であるので理解が可能でした。
自身の感覚を研ぎ澄まし、日常生活で『感覚を意識する』ことが今後のデザイン思考に結びつくのでは?と思いました。

はぁー…人間って当たり前にやってることだけど、ほんと頭良くておもろいなぁー!!

最高だったぜ『重版出来!』

昨日、最終回を迎えたドラマ。
重版出来!』WiHi環境にいたので本日視聴できました。もー最終回に相応しい素晴らしい話でした。

主人公の編集者・心と、新人漫画家・中田伯、二人三脚で漫画作りに勤しんでいたと思っていた二人ですが、初めて衝突します。一方で、漫画界の名誉ある賞に輝くのは、どこのどの漫画家か?
漫画家もバイブス編集部内もソワソワと浮き出し立っています。
一体、だれが受賞するのか?
そして、心と中田の絆と関係性はどうなってしまうのか?

今回私は、ある人物がめちゃカッコよくて、ロックやーん‼︎‼︎ と心の中で叫びました。人はいつなんど時も走り出すことができる、加速できるんやなぁ…と。
やけど、F1でたくさんのエンジニアがサポートするように、1人じゃ加速できん。
だから感謝せないかんのかぁーと。

そして、きっとこの人は、まだ目に見えぬ新たな世界を創造していく。

すげぇーー‼︎‼︎

目頭が熱くなるのを感じました。
カフェだし、目の前に人いるから、泣かんけどねー笑

私もまだまだ知らないことばかり『伝える(創造する)』には、もっと色々知らんとな。

色んなアイディアと感動をいただいたドラマ『重版出来!』にお礼と共に敬意を表したいです。ありがとうございます。


エキストラ募集、抽選ハズレたけどね‼︎‼︎

あきたびじょん。が示すもの。

「あれ…この人見覚えがある…」

図書館の芸術・デザインコーナーの前で頭をひねる。

梅原真さんをご存知だろうか?

彼は高知を中心に、第一次産業いわゆる農林漁業の生産者や役場などからの依頼を受け、パッケージデザインはもちろん企画プロデュース・雑誌編集・地域再生する地方に根付いたデザイナーである。

私は何年か前にNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』でその存在を知り、
「デザイナーっぽくない風貌の方だなぁ」
「デザインの仕事で、鶏が駆け巡る映像が出てくるとかおもしろいなぁ」
と思い、印象に残ったようで
頭の中の引き出しから、ぽろりと梅原真さんの姿が現れた。

田舎を意識するようになってきて、梅原さんの本を読むようになった。

そんな折に、梅原さんを通してステキな雑誌に出会ってしまった!!

それが、秋田県の公式フリーマガジン
『のんびり』
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ふと手に取ったその冊子は、梅原さんが手掛ける秋田PRの中で描いた『あきたびじょん』を軸に、秋田らしさを紹介していく公報誌だ。

県の広報誌って読み物としてのおもしろさって期待したことなかった。
てか、むしろ触れる機会もないし。

しかしながら、この広報誌を読み進めるうちに自由度の高い取材により、財政や取り組みの前に『人』が見える編集に心を動かされる。

とくにビックリしたのが、
秋田県知事の持つ『人』としての魅力に度肝を抜かれた。
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これも、のんびりイズムがなせる業か…。

グローバルの中で競争は避けられない。しかしながら、分かち合いもなければ人間は疲れてしまう。分かち合いを理解するためには、人間たる素養が必要。田舎はその要素が高い。
その能力を尊重しながらも、常に更新していくことが大切。

その中で発信方法として
のんびりイズムを作ればいい。
東北の仲間を作って、地方から東京首都圏を包囲しちゃうえばいい。と語る。

ひゃーおもしろい(n´ω`n)

広報誌もその軸をしっかり汲み取ってるからこそ深みがあり、読み応えがあるんだろうな。

梅原さんを意識してなかったら、
秋田の広報誌を読むこともなかっただろう。笑 

地方のあり方を見せてくれる素晴らしい一冊であり、都会に住まう田舎ものとして、何ができるのか考えさせられた。








そう!面倒くさがりなんです!

F太さんのタグ企画
#やろうやろうと思ってやってなかったことに22時から23時まで取り組む
に参加してみて、
やりたかったけど、面倒くさくて放置してたことを楽しんで進めることができたよ。(キッチン周りの掃除、笑)

この間、
『なぜ、このタグでTweetするとやる気が出るのか?』を考えてた。

まず1点、私の中で1番テンションがあがることに一致してたこと。
それが『おもしろそう!』という基準に当てはまったこと。
(様々な人が参加し、ミッションを通じて、いいね!と押し合うことが、オンラインゲーム的要素があり楽しかった。)

この自分にとっての、テンションあがりポイントはかなり重要だ。
なにせ、するっと行動に結びつけることができるからだ。

ここから、かなりの面倒くさいことをするためには、こうやったら『おもしろい』のではと、自分自身へプレゼンテーションすべきだな。とひとつのアイディアが浮かび上がってきた。

それと再確認したのが、
ほんと『面倒くさがりやの怠け者』だってこと。この認識の甘さね!
少しはやる気を出せば、できる子なんだ!とか思ってたよ。
けど、もうぜんぜん出来ないから‼︎ 笑
隙あれば、ゴロゴロして何もしたくない。ニート羨ましいな。とか思うし。笑
諦めて、

『ラクしよう』と思う。

完璧な人は目指さない。自分が面倒くさいと思わない、ギリギリのラインで手の届く範囲で生活していく。

ラクすることを一生懸命探すことで、規則正しい生活が手に入るなら、いいじゃん! 
やり方がカッコイイとは言えないが、目指すところは一緒なわけだし。

…なんて考えを導き出せたことがすごく良かった!
『面倒くさい』という厄介極まりない二次感情を考察し、対策をアウトプットできたらいいなぁ!と夢が膨らんだ、イベントでした。チャンチャン♪



田舎とクリエイティブ

最近Facebookを再始動し、イベントを探す方法を見つけてワクワクしてるんだが、改めて思ったことがある。
都会とくに東京は、気になる分野の情報・サービスは大抵すぐに見つかる。
色んな人が住む多様な街だからこそ、様々なカルチャーを網羅してるのだろう。寛容な街だなとつくづく思う。

しかしながら、情報やサービスを受け取るのに精一杯でクリエイティブなことがおざなりになっている事に気付いた。可笑しいな…地元(奄美大島)にいる時のが、創造してたぞ。

作りたい、発信したい。
自然と湧いてきたのは、どうしてだろうか?今になって分かったのは、情報が少なかったからだ。発信者が不在ならば、自身が生み出すしかないのだ。

ゆる〜くまったりとした時間、同じようなコミュニティの中
長年浸かっているとふやけてしまう。
人それぞれだと思うけどね。
私はどうにかして、そのマンネリズムから逃げ出したかった。
それが『創造』することだった。

情報は私にとってのエネルギーの根源だけど、意図的に情報を手放すことが必要なのかもしれない。

それに伴い、田舎のクリエイティブ力って底知れないじゃなかろうか?って思ったわけだ。

遊びに行くところがない!
じゃ、遊びを考えよう!

興味のあるイベントがやってない!
じゃ、イベント企画しよう!

ないなら、作れ!みたいな。

不満や怒りは活力となり思考は加速する。そんなことに気付いたら、田舎って魅力的だなと思ったのだった。